長年葛藤の中にいた夫婦が、互いに感謝の思いを伝えられるまでに…

岐阜県 K.K.

私たち夫婦は趣味を通じて出会い、親の反対を押し切って1987年に結婚しました。結婚前から自分の店を持ちたいという夢を持っていた料理人の主人を支え、共に人生を歩んでいきたいと思い結婚した私でしたが、店を持ってからは夫婦というよりも「師匠」と「弟子」のような関係に変わっていったのです。

店での主人の私に対する指導が、やがて殴る蹴るのDVとなり、満席のお客様の前で罵倒されるパワハラに変わっていきました。「こんなはずではなかった…。」という思いがこみ上げましたが、反対を押し切って結婚したため親にも言えず誰にも打ち明けられないままに時が過ぎ、長女が生まれる頃には私の心が石のように固まってしまいました。

そのような苦痛を押し殺し笑顔をつくりながら働いてきた私でしたが、「もう無理だ…。」と限界を感じ長女が20歳の時にママ友を通じて眞人愛を知ったのです。その後仕事の合間をぬって限られた時間の中で交流していくうちに、少しずつ自分の間違った観念と習慣に気づいて生活の中で実践ができるようになっていきました。

そんなある日、主人が脳出血で倒れ右半身麻痺となり厨房には立つことのできない体となりました。仕事がすべてだった主人は生きる気力を無くし一時はどうなることかと思いましたが、そんな主人に対する私の「不安」「心配」を無くすと、主人に変化が現われました。健康のために早朝に散歩をして身の回りのことは主人自らが行うようになったのです。
一方主人に代わり私が中心となって店を切り盛りするうちに、元気だった頃の主人がどれ程家族のことを思って仕事をしてくれていたかを実感することができました。

そうしながら、お互いに相手に対しての思いやりと感謝する心が芽生えてそれを言葉で伝え合えることができたのです。今では二人で買い物に出かけ、何気ない会話も気軽にできるようになりました。

私たち夫婦にこんな日が来るとは、あの頃の私には想像もできなかったです。眞人愛と出会たことに心から感謝しています。

難病を乗り越えてつかんだ幸せ

岐阜県 H.K.

私は23才の時難病特定疾患のクローン病と診断されました。

子どもの頃は、やりたいことがあると誰にも相談せずに一人で決めて突っ走り行動する活発な子でした。しかし元々自分の気持ちを表現するのが苦手で、周りの人に合わせてしまう性格だった私は親や目上の人にかわいがられましたが、段々考え方や感じ方の違いから戸惑いや葛藤等が出てきました。

そして中学生になると母との関係が悪化、「私のことをわかってくれる人はいない。」と決めつけ、行き場のない思いが溜まっていったのです。その一方で人に対して否定的な思いが湧き上がってしまう自分自身も受け止められず、心の中から否定的な思いが出る前に押し込めるということを繰り返すと、それが塊となり何も感じないようになっていきました。

そうしていくうちに、体のだるさ、腹痛、下痢、熱、血便…という症状が少しずつ増えていき、原因不明で腸に炎症が起こるクローン病を発症したのでした。悪化した潰瘍が広範囲に広がっていたために、5m程あった小腸は手術によって1m30㎝の長さとなりました。その後も1回目の手術でつなげた部分に新たな潰瘍ができて出血を繰り返し同じ所を3回手術したため、今では1mにも満たない長さとなってしまいました。

手術前に担当医から、手術をしたら小腸が短くなり栄養の吸収ができず、やがて体のいろいろな部分に支障が出て点滴で補わなければならないことを伝えられました。実際3人目の子どもを出産すると、早くも40歳で閉経し結果的に骨粗しょう症が加速、一時は杖が無くては歩けなくなりました。

しかし眞人愛に出会い自分自身を深く見つめ直す中で、不思議なことが起こりました。それは栄養が満たされていないにもかかわらず、たくさんの新しい骨の細胞が誕生していたのです。担当医も、「理解できない!」と、非常に驚いていました。

それ以降食事や栄養剤だけでなく、補助的に夜間高カロリーの点滴をすることに決め、その3ケ月後には杖なしで楽に歩けるようになりました。そうして1年も経たないうちに骨粗しょう症の領域を出るまでに回復、今では日常生活を難なくこなせています。

また自分の間違った観念と習慣を無くすことによって、体だけではなく家庭の雰囲気も変わってきました。各自が自分の思いを話せるようになり、家族が向き合えるようになってきた

妊娠出産のトラウマを越えて、5人の子の母に!

岐阜県 U.M.

私には現在、長男26歳、次男24歳、三男22歳、長女19歳そして次女16歳の5人の子どもがいます。

当時21歳だった私は仕事でのストレスから入院し、1年半の療養生活を余儀なくされました。その後社会復帰したものの再び体調を崩し、体に良いといわれるものを求め続けましたが、一旦は良くなったように見えても根本的には良くなりませんでした。

結婚前に受けた治療の先生からは、「この体では子どもは産めないし、産んだとしてもあなた自身の体が大変になるので育てられないでしょう。」と言われ、大変ショックを受けた私でした。

実際結婚してすぐに妊娠しましたが3ケ月で流産しその後再び妊娠したのですが、安定期の5ヶ月に入ってもいつ早産になってもおかしくない状況の中、絶対安静を強いられて迎えた臨月でした。出産時も微弱陣痛となったため促進剤で2日間陣痛の苦しみを味わい、最終的に緊急帝王切開となったのです。そして産後4ヶ月経っても体調は戻らずさらに悪化、以前に治療の先生から言われた言葉が頭をよぎる憂鬱な日々を送りました。

そんな時知人を通じてこの眞人愛に出会いました。そして交流を通して間違った観念と習慣に少しずつ気づき始め、それをひとつひとつ無くしていく中で、長男を妊娠出産した時のトラウマも次第に消えていきました。
出産は5人とも帝王切開となりましたが、不思議なことに妊娠出産する毎にどんどん体が楽になっていき、一人目の時にあれ程辛かったつわりもほとんど感じることはありませんでした。5番目の子を出産する直前は、やんちゃ盛りの上の子どもたちを追いかけている自分に驚き、産後も7人家族の家事も難なくこなすことができました。

子ども一人を生み育てるだけで精一杯でいつも憂鬱そうにしていたかつての私を知っている友人たちは、パワフルに動き回る現在の私の姿に驚きを隠せません。

眞人愛との出会いで、新しい人生を歩んでいる喜びを今かみしめています!

解放を受けて姑とも仲良く

埼玉県 H.K.

私は両親に対しても気を使い、遠慮して、忙しく働く姿を見ては、心配かけまいと良い子で育ちました。社会人になっても周りに合わせて生きてきましたが、そんな私にも出会いがあり結婚しました。

主人の実家には母と兄が暮らしており、兄は心の病があって精神的に不安定だったので、母も大変な思いをしながらの生活でした。そんな時主人の上司から解放の話を紹介して頂きました。ました。内容を聞いて真っ先に母と兄の事が頭に浮かび、まず私達夫婦、そして母と兄にも解放を受けて頂きました。

私達は解放を受けて勉強し、自分の間違った考え方や行動を直していくことを心掛けて生活していました。その後病で兄が亡くなり母も一人になってしまったので、私達が主人の実家に引越しをして母と一緒の生活が始まりました。

ある程度は母を受け入れられると思っていたのですが、実際には違いました。母の言葉、行動の一つ一つに引っかかるのです。今までに無かった葛藤が色々出て来ました。何でもない様な事にも怒りが出てきて許せなくなる私。何度も母と喧嘩をしました。

母との生活が2~3年経った頃デイサービスの職員さんから、最近母の行動がおかしいと言われて病院を受診し、認知症と診断されました。頭部の行動を司るところが萎縮していて、いつ脳梗塞で倒れてもおかしくないと言われ私の怒りが母を認知症にしてしまったと、本当に申し訳ないと母に謝りました。生きていてくれるだけでありがたいと母を受け入れられるようになってきました。

母との生活によって、今まで抑えてきた感情特に怒りが強い自分の姿に気付かせてもらいました。そして自分と向き合い自分の中の怒りを無くす努力をしていきました。

私から母への怒りが段々和らいできたので、母も穏やかになってきました。認知症になり世話をする事も増えてきましたが、子育てをしているようで楽しくさせて頂きました。認知症の母もどんどん明るくなり、会話も増えてきて笑顔や笑いがたえない日々になってきました。私もそのままの母に寄り添える様になれていました。

こんなに私と母の関係が変わって主人と3人で毎日楽しく幸せに暮らしています。解放を受けて勉強していく中で私の人生が本当に大きく変わることが出来ました。ありがとうございました。

安らかに生涯を閉じる事が出来た

栃木県 S.S.

2013年に長年連れ添った夫が68歳で生涯を閉じました。

夫は急に声がかすれるようになり、一週間経っても治らないので病院に行ったところ動脈瘤が見つかり、その日のうちに入院することになりました。動脈瘤が5センチ位なっていたので、いつ破裂してもおがしくない状態なので手術を行いました。
夫は高血圧と糖尿病があったので心配しましたが手術は成功しました。

毎日病院に通いながら悔い改めをし、生きていることに 感謝する気持ちを 持ち続き、22日間の入院生活を終えて退院しました。

退院後は体が思うように動かずじれったさを感じていたようですが、野菜の種を蒔いたりやれることから始めました。しかし4月17日の朝、いつもなら新聞を読むのですが『今日は何か変なだよ』と言い、気持ち悪いともどし、冷や汗をかいていました。夫が弱っているのを感じ、救急車を呼びました。

検査を受け再入院となりました。『動脈瘤の手術時に血液が散ってしまったのが原因の脳梗塞だ』と説明を受けました。そして 病室で 酸素吸入をつけており、話をかけたりしましたが 起きることはありませんでした。

その日の夜、夫は安らかな顔をして息を摂りました。
声をかけたら目を覚ますようで.....
誰もが苦しまないで安らかに生涯を閉じることが出来たと思います。
そして、眞人愛に出会えて本当に良かったと思います。
私は強い絆を感じ、共に歩むことが出来たことに感謝申し上げます。

4人とも出産が楽になりました

滋賀県 K.M.

子供の時から体が弱かった為、風邪も良くひいたので 父母が何時でも病院におんぶして連れて行ってくれました。 二十歳になっても健康ではなく、貧血、B型肝炎など...
それで漢方薬を作ってそれを注射に入れて1日8回 毎日打ってました。
そういう状況の中、眞人愛に出会いました。眞人愛の内容を勉強しながら具合が悪い度、悔い改めました。すると何時間に薬も飲まなくなり、病院にも行かなくても体が良くなる事を何回も経験しました。
そして 日本の人を出会い 結婚をしました。

結婚当時は 韓国で住みましたが 夫の仕事の関係で 日本に来ました。 日本に来てからすぐ 妊娠しました。まだ 日本の生活に慣れてない中、主人は仕事で 毎日遅く帰って来るし、色んな事が不安でした。 しかし、その思いが来る度に 不安の気持ちをなくすようにしました。

努力した結果でしょうか、つわりもあまりなく出産も安産でした。
一人目は 待機室で生まれました。医者から『まだですよ。』と言われ、
先生は 違う場所に移動し、看護師も 夫も 誰も いない待機室で 自分一人で 産みました。それが最初の子でした。

それから2人目を妊娠しましたが、その時もつわりがあまりなく、いつになっても陣痛が来ながった為 病院に行ったら その日生まれました。
3人目は つわりが生まれるまでなかったです。 
4人目は病院に到着して 直ぐに分娩室に入り5分後に生まれました。
4人とも 楽に産めました。

眞人愛に出会い、自分を変えていく事によって 出産も楽に出来たことは本当の祝福だと思います。감사합니다.